情熱と信念で社会を変えた医師
昨日のアンビリバボーで放送された
『一人の医師が社会を変える 人生かけた夢』
面白かったです。
今から56年前のパラリンピック
このパラリンピックが開催されるのには、1人の男の尽力があった。
中村裕さん
運動神経は良くない、スポーツとは無縁の1人の医師でした。
中村さんが驚きのアイデアで大企業も動かした。
中村さんは整形外科医で患者と関わりながら、心に引っかかってる事があったそうです。
脊髄損傷の患者に笑顔がない
当時の患者は家や療養所に引きこもってしまう
社会復帰する道がなかったそうです。
そんなある日に中村さんは教授から「リハビリテイション」という言葉を耳にしました。
ヨーロッパの治療法のひとつとして盛んに行われていた。
リハビリテイション
Re (再び)と ラテン語のhabilis(適する)
これが語源だそうです。
身体機能や社会的活動を可能な限り取り戻す訓練の事。
当時の日本ではその概念すらなかったそうです。
患者を笑顔にしたい!その一心で中村さんは海外の文献などを翻訳し勉強し、それを1冊の本にまとめたそうで、その結果、厚生省がリハビリの研究をしてきなさいと言ってもらえてイギリスへ向かったそうです。
そのセンターには世界の先駆けとなる
国際脊髄損傷センターがあり、そのセンターを管理していたのがルードヴィッヒ・グリッドマン博士という人物
このセンターでは脊髄損傷で下半身麻酔となった患者の85%が約6ヶ月の治療と訓練で社会復帰していた。
この事実に中村さんは驚きました。
当時の日本では社会復帰した例はほとんどなかったらしい
中村さんは、リハビリの前段階の手術や治療も見学しましたが、文献で読んだ内容と何ら変わりないのになぜ?と疑問に持ちます。
医療技術は日本の方が進んでいるのになぜ?
この後にその理由を知ります。
このセンターでは患者が車椅子に乗ってバスケットをしていました。
スポーツがリハビリ
スポーツは心のリハビリ
この事を教えられました。
日本に戻った中村さんは早速、患者に勧めます。
その後
1961年6月
同年10月22日 (僕の誕生日と同じ日やん✨笑)
卓球や水泳など
しかし、注目は地元のみで中村さんの期待以下だった。
中村さんの全国に広めたい願いは叶わなかった。
続きはまた(笑)